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2006/06/29

楽天店舗、減少惨状…課金増に悲鳴、続々退店

ライブドア、村上ファンド、次は楽天か?

この記事の内容は、私から言わせれば、どうして今まで記事にならなかったんだろう…というような話です。
実際、私の知り合いのある通販業者は、昨年、ずいぶん憤慨していました。
なにせ、楽天に支払うシステム使用料が、突然数倍に膨れ上がり、苦情を言ったとたん、楽天から一方的に契約を切られた…という話なんですから。

契約内容を大きく変更する場合、それなりに、理解を求める態度というものがあると思うのですが、楽天は「取り付く島も無い」を地で行ったようです。

ネット通販は、ますます利用者が増えてはいるものの、実際には利幅のとても小さな業種です。
なにせ、全国の同業他社と価格競争しなくてはならないのですから、利幅は数%しか取れないのが当たり前。
そうした中、売上げの数%をシステム使用料で徴収されることになったら、大抵の店はいきなり赤字でしょう。

そういう変更を一方的にごり押しし、苦情を言えば契約を一方的に破棄し、追い出す…。
なんだかTVの水戸黄門のような話です。
こういう話がどうして表に出てこないのか、私はずっと不思議だったのですが、やっと表に出てきた様子。

まぁ、詳しくはぜひ記事を読んでみてください。

2006/06/28

Microsoft、WinFSの開発中止を表明

Windows Vistaの柱の一つは、どうやら封印されてしまったらしい。

WinFSとは何か、という話は記事を読むほうがいいでしょう。
(と言っても、ITに詳しくない人にはちんぷんかんぷん(死語?)かもしれませんが。)

重要なのは、Windows XPの次世代OSである、Windows Vistaの、大きな柱の一つと言われてきた要素が、結局封印され、使われなくなったということ。

もちろんこれだけで「Vistaは無意味」とまでは言えませんが、期待されていた新機能が次々と消えていくのは、なんともふがいない…。

XPからVistaに乗り換えるメリットって、ほんとにナンなのか、どんどん分からなくなってきています。

2006/06/19

夫「田舎」妻「駅のそば」さて退職後はどちらへ?

男は「自然」に戻りたい、女は「便利」を捨てたくない。

首都圏に住む50代男女の意識調査で、退職後、どこに住みたいかを選んでもらった結果は以下の通り。

「自然の豊かな場所」男:55.8%、女22.2%
「駅に近い便利な所」男:30.8%、女55.6%

自然に癒しを求める男と、普段の生活の利便性を捨てたくない女という風に読めます。

夫が退職したところで、買物したり料理したりといった奥さん業も退職できるわけじゃないですからね。

また、退職後の暮らしについて、『女性は「現在の生活スタイルをあまり変化させたくない」との答えが男性の倍近い44・4%に達した』とのこと。

退職は、仕事からの解放を意味すると同時に、収入の減少も伴います。
また、夫婦が一緒に居る時間が増え、「奥さんが夫の世話をする」というスタイルの生活では、奥さんの負担だけが増えがちです。
一方、男にしてみれば、これまで仕事に費やしていた時間をどう消費したらいいのか、途方に暮れるケースも多い様子。

退職後の新しい生活を楽しみたい気持ちよりも、むしろ、漠然とした不安の方が強いものなのでしょうね。

2006/06/19

音楽で脳に変化 マウス実験、知能優れる

音楽は、脳の成長を助けるらしい…。

記事によると、『マウスを胎児から成体になるまで飼育。(1)モーツァルトのピアノ曲を聞かせる(2)雑音を聞かせる(3)何も聞かせない−の3グループに分け、ピアノ曲などは起きている12時間、聞かせ続けた』そうです。

結果、ピアノ曲を聴いていたマウスは、他のグループよりも迷路を抜け出す能力が優れていたと…。

そういう訳で、「音楽は脳の成長を促す」という結論が導かれているわけですが。

これ、はたして「音楽は」という結論となれるのでしょうか?
「モーツァルトのピアノ曲は」という結論はまだしも、音楽全般が脳に良いと言い切るには、少々実験が雑な気がします。

モーツァルトのピアノ曲以外の曲ではどうなのかとか、実際にどの程度の能力差が生じたのかとか、音楽のボリュームはどの程度が適当なのかとか、突っ込みどころが色々ありそうな…。

例えば「ベートーベンの運命」や「ワーグナー」、はたまたフリージャズを大音響で聴いて育った場合、モーツァルトのピアノ曲とはまた異なった結果が出そうですものねぇ。(^^;

またマウスも、ピアノの音そのものに反応しているのか、メロディーやリズムに反応しているのか、気になります。
同じ曲でもヴァイオリンだったら結果が異なったりね。

楽器というのは、一般的に言って、元々心地よい音を出すように作られています。
風鈴のような涼しげな音なら、メロディーやリズムがなくても、モーツァルトのピアノ曲と同等の効果を上げる、なんて可能性もありそうな…。

さらには、特定のテンポの曲、もしくは特定の周波数の音だけが、効果を上げる可能性だってね。

こうした様々な仮説を切り崩せるような実験を行っていかないと、大学の研究としては(あまりにも)半端じゃないのかなぁ、などと思ってしまいました。

2006/06/17

音楽著作権“利権者”たちの変わらぬ想い

これも音楽著作権ネタ。より正確にはJASRAC追求ネタ。

音楽によって食べていきたいと思ってる人。そして好きなミュージシャンを応援したいと考えるファン。
どちらの立場でも、音楽著作権の話は気になるところです。

音楽に対してお金を払うことは、自分の楽しみのためであり、同時に、その音楽を作った人への応援になっているはず…。
でも、実際に応援になっているのかどうかは、かなり怪しいんですよね。

あるミュージシャンは、世界中で何十年も売れているCDの印税を、一度も受け取ったことがないと、某音楽雑誌のインタビューで話していました。強い怒りを滲ませながら。

あるミュージシャンは、レコード会社を訴えました。廃盤になったままだと説明されていたCDが、実は彼に無断で何度も再版されて、売られていたことが分かったからです。

今回の記事では、「無料コンサートで自分の作った曲を演奏し、それを配信サイトでストリーム放送しただけでも、JASRACへの支払い義務が発生する可能性がある」ことが、一つの目玉でしょう。

JASRACが管理していないはずの音楽からさえも、JASRACは著作権料を強制的に徴収しているというのです。

しかも、徴収された金が、どういうふうに配分されているのかは、全く闇の中であり、配分の公正さを審査する機関は存在しません。

「JASRACそのものの収入(著作権料のうち運営費として計上されている金額、約150億円)の根拠が薄く、ほとんどが理事の報酬になっている」という指摘もされています。

できるだけ曖昧な基準で強制的に金を集め、それを一部の者が勝手に懐に入れている…どうも、JASRACには、そういう印象が強いのですね。

しかも、今の日本の法律では、JASRACと完全に離れて音楽活動をすることが、事実上出来ません。
日本には独占禁止法という法律があったはずなんですが、過去何十年も独占状態を続け、未だ、なんらの監査すらされていないのがJASRAC…。

こういう指摘はずいぶん以前からされているのに、国会も政党も、ほとんど何も動いていません。
私はただただ、こういう状況が不思議で仕方ないのですが。

2006/06/12

「補償金もDRMも必要ない」――音楽家 平沢進氏の提言

今の音楽著作権は、ミュージシャンの権利を守ってくれない。

また久しぶりの更新となってしまいました。
怠けていたのが半分、書きたいと思えるニュースに巡り合わなかったことが半分。
しかし今日は、久々に読み応えのある記事を見つけました。

平沢進氏と言われても、ピンとこない人の方が圧倒的に多いだろうと思います。
P-MODELと言えば、まだある程度の人は分かるかな。
YMOが大々的に流行った時期、テクノ・ミュージック(当時はピコピコ音楽なんて言い方もされてました)ではYMOに次ぐ影響力を持ったバンドでした。
そのリーダーであり、ボーカリストが平沢進氏。

彼は自身のHPでオリジナル曲を無料で配信し、その結果、世界中からCDの注文を得ていると言います。

『無料で音楽を配信すること、コピープロテクトをかけないことは、プロモーションにつながるんです。これはものすごい威力ですよ。お金を払ってまで欲しいと思ってくれなければ、やってる意味がない。違法コピーしてそれで満足してしまうようなものであれば、それは自分のせいだと。作品がその程度のものでしかないと判断する姿勢を、今のところ持っています。』

しかし彼のような姿勢で音楽ビジネスを進められるミュージシャンは少ない。
実力うんぬん以前に、日本では音楽著作権の大半はJASRACが管理することになっていて、ミュージシャンは自分の音楽の著作権を音楽出版社に譲渡しないと活動できない仕組みが出来あがっているから。

つまり、本当の音楽著作者であるミュージシャンは、CDを出してもらうためには、音楽著作権を放棄せざるをえない。
印税は貰えることになっているものの、印税の配分内容は不透明で、自身の音楽が誰かに侵害されたとしても、著作権を譲渡しているため、戦う権利さえ事実上剥奪されているのだそうです。

詳しくは、リンク先の記事を読んでいただくとして、改めて、日本の音楽ビジネスの歪み方に驚かされました。

日本人はおおむね、音楽が好きな民族だと思います。
趣味で楽器をやっている人は意外なほど多いし、カラオケという世界を制覇する奇妙な(しかし楽しい)文化も生みました。
しかし、音楽で食っていくことは大変難しい。

音楽がラジオやTVで配信される時代にあっては、JASRACも音楽出版社も必要な存在だったのは確かでしょう。
JASRACも音楽出版社も、その活動を優先して、言わばビジネスのために、著作権の構造そのものを歪めてきたのだと思います。

しかし、音楽が細分化し、インターネットという個人配信可能なメディアが存在する時代となって、その歪みは是正されなければならない時期になっているように思えます。

現実には、私達アマチュアには、そのためにできることは、あまりありません。
しかし、音楽を愛する者は、音楽ビジネスにこうした歪みがあることを、きちんと知っておくべきだと思います。
大好きな音楽が、愛される音楽であり続けるためには、リスナーの意識も、それを守る姿勢であるべきだと思うからです。

21世紀の公園で